今日もやっぱりハッピーだね
おはようございます。
久しぶりに嫌な夢を見てしまいました。
ここ最近、ちょっと気分の浮き沈みが激しかったからかもしれません。
自分自身のことって、自分じゃわからないんですよね。
まあ、わからないんですよね。
これで良いのかとか、これは駄目なんじゃないかとか迷う時はありますが
そういう時は自分で自分を励ます術を知っているんだ。
何てったって、患者をあの手この手で励ましてきたからね。
自分に応用するなんて、大したことではないんだ。
行動には全て理由があって、無駄なことなど無い
例えばね、患者さんがね、「私はもう何も出来ない。どうすればいいのかわからない。何をしても無駄だ。私はもう駄目な人間です。」という相談をしてきた時なんかはね
「何も出来ないと言っていますが、貴方はこうして自分の意思で私のところに来ましたね。今の状況を打破したいと思っているからでしょう?人に自分の悩みを打ち明けるということ自体が、とてもエネルギーが必要なんです。その観点から見れば、貴方は何も出来ない人ではありません。」と言います。
患者さんが「仕事に行く準備を完璧に済ませた。後は職場に向かうだけだった。だけど体がそれ以上動かなかった。職場に連絡して、今日は仕事を休んでしまった。」と酷く落ち込んでいた時には
「仕事に行く準備はしたのですね。仕事に行こうとは思っていたんですね。だったら、そんなに落ち込む必要はありません。初めから何の準備もせず、行きたくないからただ『仕事を休もう』と決めたことと、仕事に行く意思があったのに体調が優れなくなって『仕事を休もう』と決めたことは、全く別物です。仕事にいける状態でないと、しっかり判断が出来たということじゃないですか。そのような判断が自分で行えることは素晴らしいことです。」と励まします。
極力、私はブログでネガティブな言葉を使わないように心がけているのです。
「毎日が楽しい」「とってもハッピーだね」「私はとてもラッキーだ」
ある種の自己暗示と言いますか、そうブログに記すことで、私の人生は至極幸せで楽しみに満ち溢れたものになるような気がしてくる。
そうすると、本当にどうでも良いことでも、とっても楽しみに満ち溢れた素晴らしいものに見えてくる。
「毎日つまらない」「今日も楽しくなかった」「私はとてもついていない」
等と言ってしまっては、少しの幸せも見ない振りをして、私の人生はなんともつまらないものであると、決め付けてしまうことになる。
人間の常道の形成機序と情動の適応機能について、ウィリアム・ジェームズとカール・ランゲ(ジェームズ=ランゲ説)はこう言っている。
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」
つまり、心理的な情動体験(悲しい)よりも、生理学的反応(泣く)の方が先に起こるということで
泣いている自分に気付く→自分は「悲しい」のだと気付く
笑っている自分に気付く→自分は「楽しい」のだと気付く
私は、仕事を辞めて暫く働かない選択をしていました。
なるべく「人生のバケーション中」だと表現するようにしている。
働かない選択を、なるだけポジティブに捉えようとする為の自己防衛なんです。
勿論、反省なくして成功などあるはずも無い。
失敗すれば当然それ相応の反省はする。
ただ、戒めの為だけの反省でなくて、次失敗しない為、更により良く行う為の反省なんです。
他人へ迷惑かからない失敗に関しては、反省はするけど後悔だけはしません。
その失敗にも何らかの意味があるんです。
この記事を書いていたら、なんだかとっても楽な気分になってきました。
さっき見た嫌な夢など、どっかに吹き飛んでしまった。
やっぱり、毎日は楽しみで満ち溢れていて、とってもハッピーなんだ!
今日の私もとっても幸せだ!やったーーー!
うめこでした。