なすびのおじや

元ニートですが無事に社会復帰しました

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頑張り過ぎんでも良いと思いますよ

私は先日密かに決めていました。

週に一度はPCの電源すら入れん日を作ろう。

朝から決めてました。今日はPCの電源を入れない日!

お友達とお出掛けするんだ!今日はお休みな日!

 

友人と出掛けて、家に帰り着いて、そのままお風呂に入って

あー!サッパリした!と頭を拭きながら

そのまま迷うことなくPCの前に座り込み、スムーズに流れるように、PCの電源スイッチオン。

 

キュイーン(起動音)

 

ううわ、しまった!PCつけるの癖になってる!

※いつもブログは風呂上りにダーっと書き上げて、予約投稿してます。

休むことも、頑張ることと同じくらいに大切なことだと思うんですよ

休むの今度にしますけど、自分で「今日はやーすみ!」って設定するのって大事だと思いますよ。

継続は力なりとは言うけども、頑張っても頑張り方間違えてたらどうしよもない。

頑張ることはとても素晴らしいことで、その頑張り自体を良くないと言いたいんじゃなくて

自分のキャパ超えた頑張りは良くない。たまには休息を入れないと、と言いたい。

 

私は既にそれは身を持って体験しているんです。

前の職場はブラックじゃないけれども、所謂ハラスメントの巣窟みたいなものでした。

精神的にくるやつ。

だから、ここらで一旦人生の休息を入れようと思ってニートになりましたが

ブログのトップの紹介文でも書きましたが、日々がイレギュラーなんですよね。

変なハプニングが起きることが、人一倍多い気がします。

自分でも面白いなと思うので、いつかネタにします。

ニートになってからの方が何だか穏やかでない。休めてない。休みたい。

私は平穏な日々を求めている。

 

自分の頑張りと、他人からの評価が比例しないことだってある

これはもう私が小学生の時から知ってました。

小学生の時、担任の先生が「作文か詩を書きましょう。」と言いました。

私はすぐに思いました。作文よりも詩の方が圧倒的に文字数少ない。

書きあがった人から自由にしてても良いとのこと。

だったら当然詩だぜ。作文なんて時間かかるし原稿用紙1枚書いただけでも手も痛くなるから嫌だ。

クラスの9割は作文を選んでました。

今思い返せば当然です。小学生としては作文の方が書き慣れているのです。

唐突に詩を書けだなんてそこそこハードルが高い。

実際、私と同じように詩を選んだ残りの1割は苦戦していました。

何度も先生のところに持っていったり、書き直したり。

文字数が少ないからという怠けた理由で詩を選んだ私としては、何度も書き直すなんて面倒くさい事をしたくなく

尚且つ文字数も最小限に、5行程度の詩を数分で書き上げ、そのまま先生に提出。

残りの授業(確か30分以上あった)は言われた通りに自由にしていました。

 

なんと、その詩が入選しました。

コンクールに出す為のものだったみたいです。

何の賞なのか、説明が無かったのでサッパリでしたが、賞状を貰いました。

その時、賞を貰ったのは私だけでした。

賞状を受け取りながら思いました。

なんか、ごめんなさい。

 

思い出すのは、何度も何度も書き直したり、頑張って考えていたクラスメイト達の姿です。

私頑張ってない。詩とか実際よくわかってない。

のに、何やら評価されてしまいました。頑張らなくても大人が褒めてくれました。

小学生ながらに気付いたんです。見る部分によっては頑張りが絶対的に評価されるわけではないと。

この時から大学卒業するまで、うまいこと手を抜くことを覚えたのですが

やっぱり頑張らなくてもうまくやってれば褒められる時は褒められるし、評価される時は評価される。

試しに、大学卒業後から物凄い頑張ってみました。

心折れました。頑張っても良いことないやーん!何だこれマジか!

誰だ努力は必ず報われるって言ったの。

 

思い返したら、頑張るのベクトルと自分のキャパと勘違いしてたんだと思うんですよね。

頑張ることは素敵なことだと思いますよ。ただ私はもう頑張りません。

自分の限界超えた状態で、頑張りが行き過ぎると本当に言葉通りに体動かなくなりますよ。経験済みです。

ちょっとくらい休んでも、皆さんそんなに怒りませんよ。経験済みです。

ほんのちょっとでも良いんですよ。レッツ休息。

 

文字数多いのが嫌で作文を避けてたくせに、この記事を約1700字程書くまでに成長しました。

やや書きすぎました。今日はおしまい、おやすみなさーい!

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